2021.01.22

フランクリンの生涯~後編:政治家編~

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ベンジャミン・フランクリンは、アメリカの100ドル紙幣にも印刷されている偉人です。
「アメリカ建国の父」と呼ばれた彼の功績について詳しく紹介します。

42歳で政治家人生をスタート

ベンジャミン・フランクリンの前半生は実業家として活躍し、後半生は政治家と科学者として後世に名を残しました。フランクリンが政治家としての第一歩を歩み始めたのは、1748年のこと。42歳になったフランクリンは印刷業で十分な富を築いたため、事業から手を引き、フィラデルフィア市議会議員となりました。フランクリンといえば、雷を使った実験をはじめ、数々の発明に携わってきたことで知られていますが、これらの科学者としての活動も、42歳以降のことです。つまり、フランクリンは政治家としての仕事をしながら科学者としても活動していたのです。

それでは、今回はフランクリンの政治家としての功績にスポットを当ててみたいと思います。フランクリンは「アメリカ建国の父」のひとりであり、アメリカの100ドル紙幣にも印刷されています。これはひとえに彼の政治的な功績によるものです。具体的にはどのようなことを行ったのでしょうか。それを説明するためには、初期のアメリカの歴史についても説明しなければいけません。

イギリスからの独立の機運


▲アメリカ植民地軍がイギリス軍を撃破したサラトガの戦いを描いた「バーゴイン将軍の降伏(Surrender of General Burgoyne)-ジョン・トランブル画

フランクリンが生きていた時代、アメリカはまだイギリスの植民地であり、独立した国家ではありませんでした。しかも、アメリカ大陸にあるイギリスの植民地は、大西洋に面した区域だけで、それより西側の内陸やカナダはフランスの支配下でした。

新天地を求めてアメリカに渡った人々は、イギリス政府によって重税をかけられたり、通商を制限されたりして窮屈な思いをしていました。しかし、イギリス政府によって海賊や敵国の脅威から守ってもらう立場だったため、イギリス政府の支配に従うしかない状況でした。

アメリカ大陸の植民地をめぐって長らく緊張状態にあったイギリスとフランスは、1754年についに戦争を起こします。その結果、イギリスはフランスに勝利しました。この戦争では、フランスとアメリカ先住民族(インディアン)との連合軍がイギリスと戦ったため、「フレンチ=インディアン戦争」と呼ばれています。イギリスは戦争に勝利したものの、多額の費用を使いました。そこで、イギリス政府は戦費はアメリカに住む人たちが出すべきだと要求します。「そもそも、戦争はほとんどアメリカで行われ、しかも戦争によってフランスの植民地も手に入れたのだから、アメリカが出すべきだろう」というのがイギリス側の言い分でした。

しかし、アメリカに住む人々はイギリス政府の言い分には納得せず、アメリカに住む人にだけ重税をかけられるのはおかしいと考えました。このようないきさつから、アメリカの人々はイギリス政府に対しさらに不満をつのらせることになります。そして、これがアメリカ独立戦争のきっかけになるのです。

さて、当時アメリカでは、大西洋岸にペンシルヴァニアやマサチューセッツなどの13のイギリス植民地が存在し、それぞれが独立した自治体でした。イギリス本国との緊張関係が高まると、それぞれの植民地の指導者たちは植民地どうしで団結する必要があると考えるようになりました。そこで、1774年に各植民地の代表がフィラデルフィアに集まり、イギリス国王への請願書を起草します。これが大陸会議です。しかし、イギリス国王のジョージ3世は譲歩しなかったため、アメリカの人々の間でイギリスから独立しようという声が強まっていきました。

こうして、1775年にボストン郊外のレキシントンで、植民地軍とイギリス本国軍が衝突し、アメリカ独立戦争の火ぶたが切って落とされます。1776年の6月10日に行われた大陸会議では、独立宣言を起草する5人の委員が任命されました。この5名のうち、ペンシルヴァニア代表がベンジャミン・フランクリンです。こうして独立宣言は大陸会議での採択を経て、1776年7月4日の公布に至ったのです。


▲13植民地の独立宣言への署名の場面を描いた「独立宣言(The Declaration of Independence)-ジョン・トランブル画」

イギリスとの戦争には、弾薬が必要でした。それを手に入れるため、フランクリンはかつての敵国であるフランスを訪れることにしました。このとき、ヨーロッパではフランクリンの科学者としての功績が注目されており、彼の先進的な考え方もフランスの貴族や知識人の支持を得ていました。そういった背景があったため、フランスの有力者がフランス政府に圧力をかけてくれることになり、アメリカはフランスと同盟条約を結ぶことができたのです。

こうして、独立戦争はアメリカがイギリスに勝利し、1783年にイギリスと平和条約を締結して、アメリカは独立国家になりました。独立のために団結したアメリカの各州(それぞれの植民地)の団結をさらに強めるため、諸州の代表者会議が1787年に開催され、憲法がつくられることになったのです。この会議の議長はジョージ・ワシントンでしたが、ペンシルヴァニア代表がフランクリンでした。ジョージ・ワシントンが初代大統領に就任したのは1789年。その翌年の1790年にフランクリンは85歳でその生涯を閉じたのです。

1790年、最晩年のフランクリンは、黒人問題を解決する国会への嘆願書に署名します。独立宣言には「すべての人は平等につくられている」とあるのに、黒人は奴隷として扱われていることに心を痛めていたのです。奴隷問題をきっかけとした南北戦争が起こる約70年前に、いちはやくこのような問題意識を持っていたフランクリン。最後まで、これまでの世の中にない画期的なものを思いつき、常人にはまねできない行動力によって、よりよい社会を作ろうと活動し続けました。アメリカ紙幣に印刷されるのも納得の偉大な人物です。

 

今井明子[気象予報士/サイエンスライター]
Twitter(@imaia78)

 

参考文献:
「ベンジャミン・フランクリン、アメリカ人になる」ゴードン・S・ウッド著、池田年穂・金井光太朗・肥後本芳男訳 慶応義塾大学出版会
ベンジャミン・フランクリン―アメリカを発明した男―」佐藤義隆 岐阜女子大学紀要
<米国大使館>
https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/3375/#jplist
https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/3474/
<世界史の窓>
https://www.y-history.net/appendix/wh1102-018.html

 

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