2022.02.01

雷神社

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「〇〇天神」のご祭神である「天神様」は、今では菅原道真を指しますが、昔は違いました。
いったいどのようないきさつで菅原道真になったのでしょうか。

そもそも、天神は農耕の神だった

雷は建物や人命に多大な被害を及ぼす恐ろしいものです。しかし、農耕民族だった日本人にとって、雷を発生させる積乱雲は、大量の雨という恵みをもたらす存在でもありました。
雷の発生は今なお、何日も前から予測するのは難しいものです。
予測不能で生活に多大な影響を及ぼす存在なのですから、人々が雷を神様としてまつるのは自然の成り行きといえます。
全国には「〇〇天神」と呼ばれる神社がたくさんありますが、そこにまつられている天神様は、もとはというと農耕民族にとっては重要な雷や水の神様だったのです。

 

都市化で怨霊信仰と雷が結びつく


▲北野天満宮(京都府京都市)

しかし、今では「天満宮」や「天神社」のご祭神は菅原道真です。
菅原道真は今でこそ学問の神様として知られていますが、もとはといえば雷神としてまつられていました。
なぜ、実在の人物だった菅原道真が雷神となったのでしょうか。これは一説によると、古代・中世の怨霊信仰と深い関係があるようです。

奈良や京都では大和政権の都がおかれ、都の人々は次第に農耕から離れた暮らしをするようになりました。
そのうち、朝廷での政争に敗れて非業の死を遂げた怨霊を恐れる怨霊信仰も流行し始めます。
菅原道真が太宰府に左遷されて無念のうちに亡くなったあと、道真を左遷に追いやった藤原時平一族が若くして亡くなったり、御所の清涼殿などに落雷が発生したりしたことで、菅原道真もまた、怨霊として恐れられるようになりました。それで、雷をもたらしたのは菅原道真の怨霊のしわざだと考えられ、道真を「天神」としてまつることにしたのです。
こうして、「天神社」は菅原道真に祭神が変わっていったのではないかというのです。

 

道真とは関係のない雷の神社も


▲上賀茂神社(京都府京都市)

もちろん、菅原道真とは関係ない、雷の神社もあります。
たとえば、京都の上賀茂神社は別名を「賀茂別雷(かもわけいかづち)神社」といい、ご祭神は賀茂別雷(かもわけいかづち)大神です。この神様は古事記にも登場する玉依姫の子どもです。上賀茂神社は雷の神社ということもあり、ご祭神は今では電気産業の守護神にもなっています。

また、東北から関東地方にかけては、「雷電神社」や「雷神社」が多い傾向にあります。
西日本でもかつては「雷電神社」「雷神社」が多数あったようですが、菅原道真が「天神」になったことにより、「天神社」に祭神が変わっていったと考えられています。

 

今井明子[気象予報士/サイエンスライター]
Twitter(@imaia78)

 

参考文献:
「雷をひもとけば」新藤 孝敏著 電気学会
「雷さんと私」宅間 正夫著 三月書房
上賀茂神社HP(https://www.kamigamojinja.jp/