2021.12.24

菅原道真

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今では学問の神様として知られる菅原道真。しかし、菅原道真は当初雷神としてまつられていました。
なぜ雷神だったのでしょうか。

左遷の恨みで雷神に


▲雷神となった菅原道真の姿を描いた「皇国二十四功 贈正一位菅原道真公 月岡芳年 」

もうそろそろ受験シーズン。合格祈願に天満宮や天神社にお参りに行く人も多いのではないでしょうか。これらの神社で天神様としてまつられているのが、菅原道真。平安時代前期の学者であり政治家です。

菅原道真は学問の才能に優れ、宇多天皇の御代に厚い信任を得て右大臣にまで出世しました。しかし、宇多天皇から醍醐天皇に代が変わると、藤原時平によって無実の罪で陥れられ、九州の太宰府に左遷されてしまいます。そもそも、菅原氏というのは学者の一族でしたが、その一族出身である道真が右大臣という高い地位についたことを面白く思わない貴族が多かったのでしょう。左遷された道真は二度と都の土を踏むことなく、太宰府の地で亡くなります。

道真の死後、都には異変が相次ぎました。まずは道真を陥れた藤原時平が39歳で亡くなります。その後、時平の妹と醍醐天皇との間に生まれた皇太子の保明親王も21歳の若さで亡くなってしまいます。これが道真の祟りだと噂されたため、朝廷は道真を正二位の位を追贈して名誉を回復しました。それでも、時平の娘と保明親王の息子である慶頼王がわずか5歳で亡くなります。さらに、都では台風による洪水や疫病の流行が相次ぎ、さらには天皇の住まいである清涼殿や儀式を行う紫宸殿に落雷があって死者が出たのです。

これまでの災いを道真の祟りとして恐れていた醍醐天皇は病気になり、ほどなくして崩御します。その後、地方では平将門や藤原純友が乱を起こし、落ち着かない世の中になっていきます。

そのなかで、僧や巫女のお告げもあり、道真の霊を京都の北野にまつることで、ようやく道真の怒りはおさまったとされています。この神社が北野天満宮で、全国約1万2000社の天満宮や天神社の総本社です。

その後、時代を経るにつれて、道真は災いをもたらす怨霊だというイメージが弱まっていきます。そのかわり、生前優秀な官僚であり、学識も豊富であったことから、次第に道真は「学問の神様」として認識されるようになりました。江戸時代には寺子屋が普及し、その教室に天神様がおまつりされたり、道真の姿を描いた絵が飾られたりするようになったのです。

 

「くわばらくわばら」の語源とは

さて、雷が鳴っているときに雷避けの呪文として「くわばらくわばら」と唱えることがあります。この語源は「桑原」ですが、これは京都市中京区桑原という場所で、菅原道真の屋敷があったとされ、そこだけ雷が落ちなかったことから由来しています。

▲現在、桑原町は京都御所の南の道路にあたります。

ただ、くわばらの語源には諸説あり、「雷は桑の木が嫌いなのでくわばらと唱えると雷が落ちない」という言い伝えもあります。

全国にある天満宮の多くは境内に梅の木が植えられて、早春には梅の名所としても知られています。これは、道真が太宰府に左遷されたとき、庭の梅をしのんで「東風吹かば 匂いおこせよ梅の花 主なしとて 春な忘れそ」とうたったことで、その梅が太宰府にまで飛んでいったという飛梅伝説にちなんで植えられています。

 

今井明子[気象予報士/サイエンスライター]
Twitter(@imaia78)

 

参考文献:
「雷をひもとけば」新藤 孝敏著 電気学会
「雷文化論」妹尾 堅一郎著 慶応義塾大学出版会
太宰府天満宮「太宰府天満宮とは」(https://www.dazaifutenmangu.or.jp/about)
北野天満宮「北野天満宮について」(https://www.kitanotenmangu.or.jp/index.php?mode=pc)
歴人マガジン「菅原道真が神様と呼ばれる理由」(https://rekijin.com/?p=29909)
ホトカミ「菅原道真はなぜ学問の神様なの?道真の生涯と神様になるまで」(https://hotokami.jp/articles/114/)
ピクシブ百科事典「菅原道真」(https://dic.pixiv.net/a/%E8%8F%85%E5%8E%9F%E9%81%93%E7%9C%9F)
PHPオンライン衆知「雷除けの「くわばら、くわばら」の由来は?」(https://shuchi.php.co.jp/article/5776)